先日、用事があって税理士に電話をかけた。新しく借りる事務所の契約に必要な収入証明を発行してもらうためだ。そのついでに、賃貸契約について少し聞きたいことがあった。
税理士のオフィスに電話をすると事務の人が税理士につないでくれた。名前と用件を告げると、なぜかものすごい勢いで捲し立て始めた税理士の声を聞いて私は呆気にとられる。私たちの税理士は冷静だけど頭がきれるタイプで難しい問題に取り組むのが得意だ。今まで何人もの税理士を渡り歩いてきた中で、彼女ほど信頼できる税理士は他にいない。ただし今回のようにタイミングが悪いとものすごいスピードと情熱で話しかけてくる。彼女も自分で言っていたが、今ものすごくめちゃくちゃ忙しくて大変な時期なのだと。年明けの税理士は忙しいとは聞いていたが、なんというか大声で今忙しいからそこまで手が回らないと激しく言われるとなんだか悪いことをしてしまったようにこちら側は感じてしまう。
こういう時、ドイツ人相手だとこちら側としてはどのような態度に出るべきなのか悩むところだ。しかしこのように急な展開になると、どうしても「忙しい中すいません。」と言ってしまう。アポ無しの電話をかけて、いきなり向こうが不機嫌な場合などは推測不可能なのでもし相手の態度の度が過ぎていても、なるべく平穏になるように対応してしまう。
ドイツ人と話をするときは、相手の意見に同意をする必要がまったくなく、むしろ会話のテーマの中で自分の意見を主張してからはじめて対等な位置に立てる。ドイツ人にとっては子供の頃から学校や家庭でそういう教育を受けることが多いので大したことがないが、日本人からしてみたら少しばかり難しいところだ。日本人は私も一緒ですよ、同じ意見ですよといって相手の懐に入っていくが、ドイツ人は私にだってあなたと同じように意見や主張があるんだよとアピールしなければならない。だから私はドイツ人とビジネスや事務的な会話をしなければならないときは、戦闘態勢というか少しばかり気を張って意見を言うぞ!と意気込むときがある。
しかし、今回の電話ではその意気込みの準備を全くしなかったので、税理士の不機嫌にどんどんと吸い込まれていって、挙げ句の果てには「そんなに忙しいのに、こんな私のしょうもないことでお手を煩わせてしまってすいません。」と言う始末だ。すると相手もなんだかんだいいながら、まぁでも時間があるときにちゃんとやっておきますから、とだんだん穏やかになっていく。そのあと、少しばかり世間話をしたあとに電話を切る間際になって私が「それでは、引き続き良い夕方をお過ごしくださいね」と言おうとしたのだが、どうまちがったのか「それでは、おやすみなさい。」といってしまった。すると税理士さんはちょっとそれが面白かったのか電話口でクスっと笑う声が聞こえて、お別れの挨拶を交わして電話を切った。
このような事が起きたら、昔の私だと必ずへこんでいただろう。なぜなら、失敗や相手に不愉快な思いをさせてしまったことで、なんだか自分の人格までもが失敗のような気がしてしまうからだ。しかしドイツで暮らしていくうちに、失敗を人格と切り離して考えれるようになった。この電話のあとに、へこまなかったわけではない。数分間くらいは頭の中に税理士の大声がこだましていたが、1時間もすると忘れていた。彼女の怒りや忙しさが電話口で伝わってきたけれど、そのことと私は別問題だと切り離して考える。これは文章に書くと簡単そうに感じるが、人間は感情移入をする生き物なので相手の感情に影響されやすい。しかしドイツで強く生きていくためには、ある程度相手の感情から距離をおかないと自分を守れない。相手のことを考えて発言することはもちろんドイツ人にだってあるが、自分あっての他人という軸がぶれないのがドイツ人だ。性悪説とまではいかないけれど、そういう一面があることを知っておくといざというとき自分を守れる。
不機嫌だからって、相手に何を言っても良いわけではない、が通用しないドイツでだからこそ、自分を守るためには行動と人格を切り離して考えることが何よりも役に立つと思い直した一件であった。