第一印象が大切、というのは真理なのだろうか?
ほとんどの嘘つきは自分を良い人に見せようとする。だから初対面やまだ信頼関係が浅い頃に無駄に正義をかざしたり、人の良いことを言って信頼を得ようとする。しかし本当に信頼できる人は、偽物の笑顔や親切心などは丸出しになんかしない。人はよく思われたいという願望の反面、自分だけ得をしたいし必要であれば誰かを蹴落としてでも自分の欲や成功を優先する。そういう汚い心が備わっているのが人間だということを人々はすっかり忘れてしまって、いかにも自分は清く正しく親切で慈悲に溢れている素晴らしい人間だということを表現する。そしてそれが正しいことだと思い込んでいる。
嘘つきは、優しい。嘘つきは、偽物の笑顔で近寄ってくる。相手に優しい態度で近寄って懐にそっと入り込んで、相手をあっという間に支配してしまう。なぜそのようなことを嘘つきたちは平気でするのか?と考えてみたときに、嘘つきは自分のことしか考えていないからだ、という答えにたどり着く。親切にすることで嘘を帳消しにしたり、自分の心の底にある汚い願望や欲望から目を背けるために偽りの親切心で自分自身をも騙して生きているのかもしれない。もしそれが本当であれば、嘘つきたちはとても可哀そうな生き物だ。
幸せな人生を歩みたい、と誰しもが思う。けれど、幸せを感じる基準は人それぞれだ。なのにどこかの誰かが幸せはこういうものだ、と決め付ける。それはとても迷惑なことだ。私にとって幸せなことが、あなたにとって幸せなこと、とは限らない。なのに人々は自分と同じ考えや感じ方をする人にシンパシーを抱き、仲間意識を持ち、そして自分とは違う考えや感じ方をする人に対しては時に敵対心を抱き、ひどい時は排除しようと試みる。なんて迷惑な話なんだろう。どうして人々は誰かと同じでないと安心できないのだろうか。
違い、というのは時に面白いものである。自分と違う考え方を持つ人と出会い衝突した時にその人の心や精神が丸出しになる。多くの人は攻撃するだろう。攻撃しない人は、自分との違いに興味を持ち、知ろうとする。知的好奇心を持って位切ることは、人間として生きていく上で一番楽しくて大切なことなのに、嘘つきたちは動物のように野蛮で暴力を駆使し、知能を使って理解し合い相手を尊重することができない。
人間はこの世界にたくさんいる。野蛮な人間よりも、知的好奇心に溢れた本物の優しい人間がたくさんいれば、世界はきっと平和になるんじゃないだろうか。