私が初めて断食と出会ったのは病院だった。当時はまだ20代前半だったにも関わらず、虚血性腸炎というものかかり下血が止まらなかった。即入院で1週間の禁食と点滴による治療だった。その数年後には継室炎というこれまた大腸の炎症にかかり救急車に乗る羽目になった。それから大きな病気にはかからなかったが、ドイツで暮らすようになり時々軽い胃炎になったり胃潰瘍になりかけたりと今度はストレスで胃がやられるようになった。それから時々、胃が痛くて眠れずに救急に駆け込むこともしばしばだった。
何度も続く胃炎や腸炎をどうにかすることはできないかと思っていた頃に、断食と出会った。

世の中にはクレンズファスティングや、酵素断食など商品を売りつける断食がたくさんあるが、ここはドイツ。断食用の酵素やドリンクにはなかなか出会えない。断食にはいろいろなメソッドがあるようだが、私が読んだ本には水だけでも充分だと言う作家もいた。なのでなんとなく断食を初めてみたのだ。

ところが「今日は何も食べないぞ!」と決めても、そうは行かない。体が食事を求めている。脳が何か食え、と命令を下し何度も冷蔵庫を開けたり閉めたり自分と葛藤する。今まで数え切れないくらい断食をこなしてきたが、そのうちの3割くらいは失敗している。なんだかんだ食べ物の誘惑に打ち勝つことができずに食べてしまうのだ。食べた後は自己嫌悪と罪悪感に苛まれる。この悪循環を繰り返してやっと断食が達成できたとしても、胃液が出過ぎて気持ち悪くなったり、体の中のエネルギーが枯渇して頭がモヤッとしていたり、時には好転反応とやらの頭痛や腰痛まで出てくる。私が一番困ったのは、断食で体が冷えすぎてしまい夜に寝付けないことだった。断食中は体力を節約しようと眠たくなりがち、という人もいるが無駄に根性のある私の体は休もうとしてくれない。対策としては体を温めるしか他がないが、それでも眠れない。そしてやけに目覚めも早くなる。

何度も断食を繰り返していると、だんだん体の不調が改善されてきて頭の中もクリアになってくる。しかし所謂、断食ハイに到達するまでは何度も繰り返し断食を行わなければならない。よく考えると、私の体は数十年もの歳月をかけて汚染されたようなものなのだ。浴びるように酒を飲んだり、ジャンクフードを毎日食べたり。その数十年間の歳月がたった1日の断食で全てがリセットされるなんて都合の良い話は無いのだ。それに気がつけたのも、何度か断食を繰り返していくうちに自分の体は自分で食べたもので出来上がっているということに気がついた。そうなると即席ラーメンやハンバーガーを食べたいと思うことが減ってくる。時々食べても、美味しいと感じられなくなり、最終的にはお金を払ってゴミを食べている悲しい感覚を持つようになった。なので自然と家の中にラーメン類の買い置きなどをしなくなった。

断食がもたらしてくれるのは、内科的な健康の強化とともにいろいろな気づきを与えてくれる。食べ物に対する意識が変わるのは、断食で味覚がリセットされるという理由もある。断食した後の味覚は鋭さを取り戻している。だから味付けが必要なく、素材そのものの旨味を感じれるようになる。今までなんとも感じなかった野菜や果物がすごく美味しく感じるようになる。

断食を繰り返すうちに、体重も少なかず減っていく。最初の頃は体の中に溜まっていた水分が抜ける。しかしそこから脂肪を落とすことが少しばかり大変だ。ここでも自分の体に溜まった脂肪への気づきが生まれる。こんなライフスタイルじゃ脂肪だって溜まり放題だということだ。生活習慣病という言葉を聞いても、なんだかピンとこなかったが今でははっきりとわかる。それは病気になるための習慣が生活に根付いてしまっているということだ。断食を繰り返していくうちに、いろいろな気づきが生まれた。今までの私の生活はとても不健康でそれを少しずつ変えていかないといけないということ。
人はなかなか変われないが、気づき、行動を起こすことで少しずつ変われる。断食は自信へと繋がる。その威力はSNSのいいねで満たされる承認欲求よりもはるかに強いものだ。