2018年にユーラシア大陸最北端のノールカップからフィンランド、エストニア、ラトビア、リトアニア、ポーランドを横断しドイツへ戻る旅をした。その前に4ヶ月、アイスランドとフィンランドで各2ヶ月ずつ仕事をしたので合計5ヶ月間、ドイツの自宅を離れていた。
旅から戻ると私は家の中にあった、かつて自分が好きだったものたちとお別れをして、これからは物を持たないで暮らしてみようと思った。私はいつもの慣れたものたちに暮らすよりも、常に新しい刺激と共に暮らしていきたいと思っている。だからいつもの場所に戻る安心なんて必要ない、そう思っていたのだ。
断捨離に拍車をかけたのは、私が暮らしている街の性格もある。ドレスデンは非常に保守的だ。ナチスがたくさんいる。外国人への差別的な言動が黙認されていると言っても過言ではない。それは時に外国人だけではなく、ドイツ人同士でもだ。なんだかこの街はとてもギスギスしているように感じる。自然に溢れて良い環境なのに、暮らしている人々の幸福度はとても低そうだ。
5ヶ月間もインターナショナルで文化を解放している北欧で過ごして、この保守的な街へ戻ってくると、心のどこかで居心地の悪さを感じるようになった。それは普段の何気ない生活の中に小さな恐怖心があるからだ。例えば買い物に出かけた時に、もし何かのトラブルに遭遇して「それが外国人だから」と言いがかりをつけられたら嫌だな、という気持ちを抱えながら出かける。そういう暮らしとは無縁の5ヶ月間だった。

あれから2年間、なるべく買い物を最小限に抑え、家にあるものの必要と不必要なものを検討し大量に断捨離を行った。家の中はスッキリして余白ができた。私が捨てたのは、ベルリンに住んでいた頃から使っている貰い物の食器類、調理器具、ラジオ、化粧品類、衣類などなど。その中でも特に毎日使うものは自分が好きなものに買い換えた。使用頻度が低いケトルや炊飯器などは鍋で代用するなど、一つの役割しか持たないものをほとんど捨てた。新しく買い揃えたものは消耗品の衣類と食器類のみで、他のテレビや電子機器などは新調しなかった。そんな風に暮らしてみて2年、気がついたことがある。
それは、生活に彩りが失われてしまったことだ。例えばお風呂に入る時に新しいシャンプーを買ったら試してみたい気持ちでお風呂へのモチベーションが上がる。しかしミニマリストを目指していた時は、シャンプー、コンディショナー、ボディーソープ、洗顔の4種類をたった1つの石鹸だけで済ますようになった。確かにお風呂場はものが減ってスッキリしたが、体はカサカサ、髪はパサパサ、挙げ句の果てにお風呂へのモチベーションが上がらないまま毎日お風呂に入らなくなった。そうなると自然と外へ出るモチベーションも下がる。私はそんな生活を2年もしていた。そして最近、妙な皮膚の感染症にもなった。原因は定かではないが、私の体はとても汚かったこともそのうちの一つだろう。
それから私はお風呂道具を一式買い揃え、好きな香りとパッケージデザインを楽しむようになった。そうなると不思議と買い物も楽しいし、お風呂も面倒くさいけどなんとかモチベーションを保てている。自然とフットワークも軽くなった。

私はミニマリストにはなれなかったのだろうか?果たして、ミニマリストとは本当に心地よい暮らしなのか?
ミニマリストという世界観を知って、気付き、行動をおこし、執着と向き合った。もし私がお寺のお坊さんのように暮らすのであれば、継続するべきだ。しかし私は時々、人と会ったり家に誰かを招いたり、そういう文化的な交流をするためにはある程度の文化的な生活基盤がモチベーションへと繋がることに気がついた。2年前の私は、塞ぎ込んでいたのかもしれない。そして私はお坊さんとして暮らすよりも、アーティストの仕事をこなしている方が楽しい。

もう一つ、私がミニマリストを諦めた理由には仕事が関係している。それは世界中からガラクタを集めてくることが、アーティストの仕事だからだ。たった一行で書いてしまうと、なんだかどうしようもない職業のように感じるが、世界中からガラクタを集めてくるということは物凄い労力と時間とお金がかかっている。そしてそのガラクタに埋もれて暮らし、インスピレーションから思考を重ね、作品としてアウトプットしていく。私は2年間、ガラクタに囲まれるどころかガラクタを捨ててしまったので全く仕事ができなかった。その間にもいくつか仕事はこなしたが、なんだか空っぽの自分を見つめているようで虚しさが湧き出てきた。アーティストとしての自分を形成するものは、私自身ではなく実は私を取り囲む環境なのではないか?と気がついたのだ。

モノが人に与える影響はとても大きい。現代人は時々、その多すぎる情報量で疲れてしまう。そして何かを捨てる、手放すという行動は勇気が必要だ。けれど、手放すことで解放されることもある。しかし手放しすぎて、自分を見失ってしまったら本末転倒だ。あのときの私はきっと、全て手放してしまった状態を心の底から望んでいたのかもしれない。