私がスーパーでホームレスの万引きを見てから数日後、久しぶりに会った友達が共通の友人がホームレスになってしまったという話題を聞いてびっくりした。
ホームレスになってしまった理由を聞くと、今まで住んでいた家を追い出されたのが一番の大きな原因だった。彼はだいたい40歳を少し過ぎたくらいだと思う。定職に就いたことは多分、人生の間で一度もないだろう。東ベルリン出身で壁崩壊後からずっと毎日お酒を飲んでフラフラする生活をしていた。一時期、彼女と子供が一度にできたことがあった。私を含め周りの友人たちは、収入を得るなど少しは人生に変化が起きるだろうと勝手に彼に期待をしたが、そういうわけでもなかった。何度か赤ちゃんをバギーに入れて散歩している姿を見かけたが、あっという間に母親と赤ちゃんは彼のもとを去っていった。母親は法的手段を使って彼がもう二度と子供に近づかないように手続きをしてあたらしいパートナーと暮らしている。
ホームレスになった友人には犬が一匹いた。唯一の友人、家族だった犬は警察に没収されてしまった。その犬は大型の猟犬だがとても優しくて賢い犬で、誰かを傷つけたりしたことは無かった。しかし友人が何度か飼い犬に八つ当たりや暴力をふるって警察沙汰になったことが多々あった。なので犬を連れて行かれてしまうのも時間の問題だったのであろう。
警察沙汰になったのはそれだけじゃなく、喧嘩や小競り合いもよくあった。それで出禁になったスーパーも近所にはたくさんある。彼は小金を稼ぐのにファンドの瓶を集めていたのでスーパーを出禁になってしまうのはかなり痛手だ。
彼の人生はベルリンの壁の犠牲者ではないかと私はたまに思う。社会主義から資本主義へ変わりゆく街で、ちょうど壁崩壊を経験している若い世代で順調満帆な人生を歩んでいるひとは多くない。それは変化する学校教育や社会のシステムに適応できないという理由もそうだが、自分の人生をどのように生きるべきかと教わる機会がほとんど無いからとも言える。ベルリンは今となっては大きな経済成長の渦の中にいるが、89年に壁が崩壊してから2010年後半頃までは空白の時間がある。その約20年の間ベルリンでは学校はおろか、役所などを含め先進国とは言い難い状況だった。ある程度ドイツのルールや法律に則ってはいるものの、一種の無法地帯と言えるだろう。その20年間の間に子供から大人へ成長する過程で、自分の人生の目標となる大人が身近に居ないというのは未来を想像して行動を起こすということにつながりにくい。なので特に東ドイツ出身の人たちは一生懸命働くことがどんなことなのか、あまりよくわかっていないような気がする。働いて賃金を得て生活が潤っても、そこにはストレスと疲労が伴うだけで、自由と希望はないと言う。だから一生懸命働いて給料を得ることを魅力として感じないのだ。
私の夫はたまに自分では捌き切れない量の仕事をベルリンの友人にふることがある。しかし多くの友人は、お金がない、生活がしんどいと言いながらも仕事をしたがらない。大金が欲しいと思ったこともない人も中にはいる。大金をえるために自分の大切な時間と労力を犠牲にしたくないと思う人もいる。仕事をするかしないかは、本人の自由だ。
私たちは、自分の人生を生きるのに父親や母親の姿を見てこうなりたい、こうなりたくないと未来を描く。しかし、ベルリンの壁崩壊後の、そういう大人たちに出会わなかった子供たちは、自分の未来や人生について認識し難いものなのかもしれない。