ドイツ人は愛想笑いを嫌う

時々私は愛想笑いの癖が出てしまう。その愛想笑いを気持ちわるいと思うドイツ人は多い。カフェでお茶したりバーで飲んでいたり、とにかく時々相手の話が退屈だと聞いてるフリをする癖が抜けなくてついつい愛想笑いと適当な相槌をしてしまうのだ。そういう時、相手が日本人ならば心の中で(興味ないんだろうな…)と思うだろうけど、ドイツ人相手だとそうはいかない。適当に笑うと興味あるのかと勘違いしておしゃべりがエスカレートしていく人も多いが、本当に適当な愛想笑いをしたら鼻で笑ってけなしてると思う人も多い。あまりにも面倒臭いときに私は会話の内容を理解しないまま愛想笑いをするので、なんだこいつ?と思いっきり不気味がられ、なんで今笑ったの?何か面白かった?と聞かれる始末である。そういう時は正直に、なんかドイツ語がちゃんと理解できなかったみたいだからもう一度話して、というとだいたいみんな親切にもう一度わかりやすく話してくれる。けれど何度聞いても興味のない話に興味は持てないので、適当にあぁそういうことだったのか理解した、変に笑ったのは失礼だったねと言えば丸くおさまる。

ドイツ人は無愛想?

それじゃぁドイツ人は愛想笑いをしないのか?と考えてみたら、私の経験上ではあまりしないと思う。ドイツ人の愛想は派手ではない。顔の表情が柔らかくてニコニコするくらいで、派手にギャハハと笑ったりすることはない。体調や機嫌が悪かったりした時はその表情を顔に出す。接客業でも無理やり笑顔を作って働いている人はあまり見かけない。忙しくてイライラしてる店員をみたら、日本人はサービスがなっていないと思う人が多いかもしれないが、ドイツだとそこまで求められない。忙しいからしょうがないと思う人の方が多いだろうし、そこまで相手に求めてないから気にしない人も多い。ただ、理由もなく無愛想だったり暇なのにサービスができていないなどすじが通ってない場合には批判される。

ドイツ人が愛想やサービスを求めない理由は

ドイツの社会全体が精神的に辛かったり肉体的にしんどい時に無理をしてまで働く必要はない、という風潮があるからだ。医者で診断書をもらえれば正式に療養休暇が与えられ、給与は保険会社が払ってくれる。だから笑いたくない時に無理して笑うことは、ドイツ人からしてみればとても不自然で理解し難いことなのである。自分を傷みつけてまで社会に奉仕しなくて良いという認識がある。しかし中にはストイックに頑張る人ももちろんいる。目標に向かって辛い努力をする人を褒める人もいれば、自分をいじめているように見えるひともいる。けれど結局、それらはその人の人生でその人が自分で選択したことだと捉える。もちろん、働きすぎじゃない?と言ってくれる人もいる。けれども最終的に決断をするのは自分自身なのだ。

最後に

ドイツでは個人の領域というものがとても強い。ドイツ人と友達になろうと思っても、時々スムーズにいかないのはこのせいなのではと思う。愛想笑いをしたところでこの人は自分に賛同しているんだなと思って友人になれるわけでもない。日本の少女たちのように、同調圧力もない。自分とは違う意見を持つ人はこの世界にたくさんいるということを知っている気がする。けれど幼稚な個人攻撃とか喧嘩を見かけると、この人たちも人間なんだなと思う。